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清木場俊介 × 藤井徹貫 『CHANGE』OFFICIAL INTERVIEW


ーー自主レーベル「UTAIYA RECORDS UNITED」を立ち上げる時から、このアルバム『CHANGE』を39歳のタイミングで出すことは決まっていたんですか?

 

元々、「UTAIYA RECORDS UNITED」を立ち上げようと思ったのは3年くらい前でした。2~3年くらいは色々と迷っていましたが、今の時代はメディア云々のプロモーションだけではないので、自分達だけでやってみたいなと。事務所を立ち上げる時と似ていましたね。前から40代は事務所やレコード会社を育てていくことを考えていたので、30代でやっておきたかったことの一つでしたね。そう思うと、決めていたというよりは、形にできたのがこのタイミングになりました。

 

ーー曲に関しても30代の締めを意識した唄作りでしたか?

 

唄に関しては別で、アルバム作りは1年に1枚、2年に1枚とやってきて、『REBORN』からようやく新しいことが書けるなと。40代で唄いたい曲を新しく作ったというところですね。

 

ーーライブハウスツアー「ROCK ON」からアルバム曲を披露していましたね。

 

そうですね。タイトルもまだ決まっていない中で披露していました。昔、新しい曲ができたらライブでやっている頃もあったので、反応を見たかったというのもありますね。みんなが思っている清木場像、唄ってほしい唄があると思うんですけど、自分としては今の新しいもの、心の中にあるものを早く見てほしいというのがあったので、今回は3曲くらい新曲をやってました。自分の中では「ROCK ON」ツアーで相当育ってきたなという実感はありますね。

 

ーーステージで披露するときはレコーディングは終わっていましたか?

 

いや、例えば「静寂の闇」とかは歌詞が変わってますね。ライブなので決まっているものから逸脱しても良いわけで、変えていく中でこっちの方がハマると思ったものは結構変えたりしています。

 

ーー「昨日の君へ」の仮タイトルは「シズちゃん」だったと聞きましたが。

 

仮タイトルが可愛らしいですね(笑)。これは前のマネージャーが辞めるときに悩んでいたので、彼を題材として作った曲なのでそのまま仮タイトルをつけていました。

 

ーーそういう手の届く範囲の現実を唄う場合と、ラブソングはフィクションというように物語をゼロから作る場合と、両極端ですよね?

 

「ELEGY」は浮かんだ映像を歌詞にしてみたところがありますし、誰かのことを想ってというよりかは、楽曲的にかっこいいものを作りたかったですね。泥臭いものが多いので真逆なことをやっておかないと、ただのフォークシンガーになってしまいますし。今回は原点に戻るじゃないですが、弾き語りをしていたときの色が強いかなと。あと割と重い曲が多いかな。ラブソングは2曲くらいしかないし。ラブソングに関しては、今はあまり重要視していなくて、自分が今まで21歳から書いてきた曲を振り返ってみても、いい曲だなと思える曲はラブソングではない曲が多くて。特定の人に書いても喜ぶのは特定の人だけなので。新しく40代の恋愛観を唄うというのも、まだしっくりこないので、人生の中で生きていることを感じられるものを書く方がライブをやっててもハマるんですよ。今は自分の過去の道とか、先にある光みたいなのを唄いたい想いが強いです。

 

ーーそんな中、「初冬 ~記憶の欠片~」では、おばあさんのことを唄っていますね。

 

おばあちゃんが亡くなったときに書いた詞ですね。書いた後、ショータ(西広ショータ)にすぐ送って曲をつけてもらいました。

 

ーー振り幅を感じさせますよね。60年代、70年代から受け継がれているロックンローラー像をやろうとすると唄えないけども、我が道を行くと覚悟を決めて唄うことが清木場俊介らしさかもしれないですね。

 

いろんな好きなロックンローラーがいますけど、この辺は、誰もやっていないと自負しています。ロックンロールは歴史が長いから、自分の強みがないと、カッコイイだけじゃ何十年も唄えないから。僕の場合はこういう重い唄も唄えるのが自分らしさでもあると思っています。

 

ーー今回、手が届く距離というか、身近な題材を唄う意識がありましたか?

 

なんかこう、残しておきたいモノが多くて。この前やった男祭も女祭も作品として必ず残しておきたかったし。20年後に、20年前のライブは撮っておかないと絶対観られないし、記録として残しておきたいという気持ちが最近すごく強いので。どのみち歳は取るので、自分が残してきたモノは必ず僕がなくなっても残っていくので、そういった意味では、目に見えない誰かだったり、不特定多数だったりに書くよりは、自分の目の前にあるモノを書いておきたいですね。誰かのために唄うよりは自分のために唄った結果、それが届いているんじゃないかと。嘘っぽいもんね、僕の中ではみんなのために曲をつくりましたというのは。自分がこういう想いがあったから、こういうことを経験したから書いたんだと。それによってファンが、自分もこういう想いがあったからこの曲を聴くとあの頃の自分に逢えるとか。そういうモノが僕の中では唄だと思っているので。

 

ーー自分のことをリアルに描いたり作品にしていく中で、世代を超えた人にも伝わるのが、清木場俊介の一番大事なところのような気がしますね。

 

このスタイルでずっとやってきているし、輝かしい記録があるわけでもないし(笑)。それでも唄えているのはなぜかというのは、そういうところだと思います。僕がどれだけテレビにバンバン出ようが、どれだけ街中で音楽を流していようが、そういうので売れていくモノと、心の中に響いていくモノは違うと思って。両方カッコイイとは思うけど、自分の今いる立場でできることが今やるべきことだと思っていますから。とにかくライブをして、作品をつくって、汗水垂らして届けに行って、そして生活をする。

 

ーー汗水垂らして届けて生活をして。そういう生きている清木場俊介の中で「削りゆく命」のような曲が出てくるのが必然のような気がします。

 

本当に等身大だとは思うんですよね。39歳の男がおばあちゃんが死んだ悲しさを唄ったり、誰かを想って曲をつくったり、自分を救うために曲を書いていくのは。全く背伸びをしていないというか、その時想うモノを詞に書いていく作業はずっと続けてきたので、10代の頃からそこは変わっていません。

 

ーー片や「CRAZY JET」のようなロックンロールな曲も。

 

これは本当の自己満足(笑)。自分がバイクに乗っている映像をPVにしたくて、そういう曲を作ってみました。バンドと僕が楽しければいいという、そういう曲もないと。学園祭じゃないけど、勝手に陶酔して誰も聞いてないのに楽しんでる、という感じです。でも前提はカッコ良くないといけないので、これをカッコ良く見せるっていうのが所謂ロックンロールであり、エンターテインメントですね。

 

ーー今回はアルバム全体でシャウトしないでおこうとか、自分の中で決めていましたか?

 

いや、決めていなかったです。シャウトするほどの悲しさも今はないし、シャウトするほど苦しいこともないですし。そういう心境になれば、そういう曲を作ると思うんですけど、今は充実しているので苦しさみたいなのは描かなかっただけです。その中で「生きてこそ」は2年くらい前に元々つくった曲で、ダメだった自分、苦しかった自分というのが過去には必ずあったので、『REBORN』の後につくった曲としては入れておきたかったですね。

 

ーーこの曲はサビがないですよね。

 

ここも新しいチャレンジというか。言葉にならない想いがあるというか。それをサビにして。独り言みたいなモノです。自分を奮い立たせるじゃないですけど、今日はダメだとか言っちゃうこともあって、その自分と対峙した時にもう一人の自分が真逆を行って奮い立たせるためにつくった曲です。

 

ーーそういう意味では唄う対象も、最初は自分であったのが、レコーディングをしたりライブのステージに立ったりすると、対お客さんになるのですか?

 

来てくれる人に響くようにとは思っていなくて。例えば、この曲のこの世界観を今日立たされている状況の中でどれくらい出せるかしか思っていなくて。自分自身の戦いというか、良い唄を唄おうと思ってやると、誰かにとっては違うモノになってしまうので。10人いたら10人にとっていい唄って感覚が違うと思いますし、そこをクリアしていくのは相当難しいので、いい唄を唄うというよりは、自分が納得できる唄を唄わなければいけないという想いで毎回やっています。10回やったから10回目もいいとは限らないし、同じ唄でも毎回唄い方も違うし、お客さんの感じ方も違うと思います。来ている人も楽しいことがあった時は楽しいだろうし、悲しい時に来たライブは何を聴いても悲しいだろうし。だからそこに合わせていくよりは、自分がどういうテンションで唄えるかという方が重要になってきますね。そこがブレないようにトレーニングをしっかりしているわけで。トレーニングをやる意義は、体力的なところより精神的なところの方が大きいです。

 

ーー20代から唄い始めて、30代で辿り着いた境地だと思いますね。

 

どれだけ100点満点のライブをしても、100通りの感情を左右することはできないので。自分の中で常に80点は取れるように臨んでいくしかない。それこそ、売れてる売れていないも、こちらが左右できるものではないですし。自分がそこに向かうまでにやっているかやっていないかですね。

 

ーーレーベルとして一番初めにリリースしたのは「東京」でしたね。

 

「東京」は作っている段階で、どう唄いたいのか、唄うべきなのか、イメージがほぼ出来上がっていました。感覚的にブレスの場所や強弱も決まっていたし、語尾の感情の入れ方も決まっていたし。曲の長さはもっと長くて、極端な話、延々に書けるというか。5番くらいまで(笑)。これでも削った方ですね。男祭、女祭でやった「天は我をも裁けるものか!」も元はもっと長かったですし。曲の長さは当時5分以内でおさめるように言われていて。最近はあえて長くするという想いもないですけど、「東京」に関しては長くしようとしたわけではなくて、気付いたら長くなっていました。

 

ーー自分のレーベルになると制約もない自由も得られる代わりに自分で自分のことも見ておかないとならないですよね。

 

その責任感は大きくなりますよね。でもどこの社会もそうだと思いますし、やっぱり会社に入れば会社のルールがあるし。曲作りに関しては、来音(川根来音)がいてショータがいて、長くやっているバンドもいて。僕がこうじゃなきゃ嫌だってことはなくて、2テイク録ったら自分で判断できないことは、来音やエンジニアに聞いたりしますから。自分中心にならないように作ってます。ライブは100自分がやりたいようにやってますけど、CDは自分だけよりかは皆んなで作りたいし、その方が楽しいですね。もし、自分で想うことだけしか受け入れられないんだったら、パソコンを覚えてデータ化して、一人でこもって作った方が楽しいだろうし。僕はそういうタイプではないので、自分がこっちが良いと思っても人がそっちが良いと言った時はそっちも選ぶし。そこは、こだわりとは違う部分ですね。

 

ーー自分の許容範囲の中では、選択肢の幅が広いわけですね。

 

どういう在り方でいたいかは絶対曲げたくないけど、それ以外のところはあまり事細かに執着しないというか。

 

ーー音楽との向き合い方にこだわりがあるけど、向き合い方が正しければそれで良い?

 

そうですね。写真とかもそう。3つから選んでくれと言われてもみんなに選んでもらったり。5人に聞いて5人が良いと思うのであればそっちの方が良いと思いますし、僕が思う1番と違った場合でも多数決の方が良いわけですし。

 

ーー「虹色の朝」ではレゲエに挑戦していますね。

 

レゲエを作ろうと思って作りました。Instagramでレゲエでカッコイイおじさんがアコギ以外にも足とか身体全部を使ってやっているのがめちゃくちゃ渋いなって。こんな路上で凄い気持ち良い演奏をしていて、僕が横にいたらこういう風にメロディを作るなとか考えて。僕の曲って悲しい曲が多いじゃないですか。なので、こういうレゲエみたいな曲も残したいなって。それこそ自分のレーベルをつくって良かったなって思いますね。権利とか一番最初に費用を出すのはレコード会社で、売れない曲には投資できないんですよね。でも僕は残したいから投資したい。5年後にこの曲を録っておけば良かったが一番ダメで、僕のなかではそういう曲がたくさんあるんです。この曲でもう一度ミュージックビデオを撮りたいって曲もあるし。今は、撮りたいと思えば撮れば良い。そこに関してはレコード会社を作らないとできない行為で。まぁ大変だとは思うんですけどね。やりたいと思ったことがあるからにはライブとかで証明していかないとならないし、どうやって作りたいか、出したいかというイメージがないと、ただの自己満足になってしまうので。意味のあるものに関してはしっかりと形に残しておきたいですね。

 

ーー11月からのホールツアーはこのアルバムを中心に披露していきますか?

 

発売してからの初のホールツアーなのでね。ホールツアーは2年半ぶりですね。ライブハウスが多かったので、やっとゆったり歌えるというか。40代を跨いだツアーなので感覚を確認しながらというか、ゆっくりやりたいですね。

 

ーーホールツアーはライブハウスとは照明や演出も異なりますからね。

 

ライブハウスも好きなんですけど、絶対お客さんの方が楽しいだろうと。(笑)

ホールは芸術的なところがあるので、これ感動しているだろうかなとか考えながらもやっています。

 

ーーライブハウスは出たとこ勝負なところもありますよね。

 

でも両方できるのは幸せなことです。ライブハウスもホールも続けていきたいですね。ファンの皆さんも同じように歳を重ねてますし、ライブハウスで立って観られない人もいるでしょうし、落ち着いたライブも必要でしょうし。

 

ーーバラードじゃないけどもゆっくり聴ける曲もありますよね。

 

そういうのを40代でやりたいんです。40代、50代をしっかり見せられる大人感が欲しいというか。ファンは20代、30代で苦しんでいた清木場を見たいと思うけど、それはもう今の清木場ではないわけで。演じなきゃいけなくなるから。演じてしまったら、もう僕じゃないし。この40代、50代ではっきり分けてあげればわかりやすいと思います。30代と同じことをやっては絶対ダメだと思っています。そういう意味でも40代は変わっていかなきゃいけないし、”変化”を恐れずやってみたいですね。